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麒麟麦酒専用貨物

仮公開中!

当時の画像を掲載予定ですので、画像はそれまでお待ち下さい。

1979年(昭和54年)1面1線だった仁井田駅に、下野花岡〜仁井田駅間にあるキリンビール栃木工場に貨物輸送を行う為、側線が敷設された。
辛うじて貨物側線と貨物ホームが残っていたが、最盛期を過ぎて寂れ始めた仁井田駅に、出発信号機、入替信号機、場内信号機、遠方信号機が設置されて広い場内を管理する駅となり、再び活気が戻って来た。
いつもの様に駅事務室を覗くと、不思議な赤い箱(タブレット閉塞機)が無くなり、その代わりに信号やポイント切り替えの遠隔操作をする表示板が設置されていた。
恐らく、その時に宝積寺〜大金駅間のタブレット閉塞が廃止され、自動閉塞化したのだと思われる。
が、その後も大金駅には腕木式信号機が残っていたので、仁井田〜大金駅間の閉塞方式の詳しい事は不明である。
(大金〜烏山駅間はスタフ閉塞方式の為、現在もタブレット授受が行われている)

         
私が小学2年生の頃に麒麟麦酒専用貨物の運行が始まり、1984年(昭和59年)に運行が廃止されてしまったので、あまり詳しく覚えていないが、DE10ディーゼル機関車が重連で貨車を牽く姿は壮大で、その力強さに「機関車」に興味を持つようになった。
少ない記憶を辿ってみると、午前10時前後に仁井田駅側線に到着し、普通列車を退避した後に推進運転で麒麟麦酒専用線に貨車を推し込み、再び仁井田駅に戻って来るのだが、DE10単機で一旦戻って来たのか、専用線内で待機して、荷役を終えた別の編成の貨車を受け取って戻って来たのかの記憶が喪失している。
         
         
荷役を終えた別の編成の貨車を受け取った貨物列車は、お昼頃に仁井田駅の側線に戻って来て、普通列車を退避した後に機関車を宝積寺方面に付け替える為に、機回し作業が始まった。
この作業を見学するのが楽しみだったのだが、平日は学校があったので、日曜日か春夏冬の長期休暇の時にしか見る事が出来なかった。
(当時は週休2日なんて言葉は存在せず、土曜日はお昼まで授業があった)
          
          烏山方(井沼川橋梁辺り)から仁井田駅場内を撮影(撮影年不明)
機関車が引き上げる所までは軌道強化されていたが、そこから先はご覧の様に規格の低いレールのままだった。

自宅の後ろの踏切が側線に分岐するポイント上にあったので、一旦烏山方面に引き上げた機関車が本線を通って宝積寺方面に移動して、再び側線に入線する為に、家の後ろの踏切を過ぎた所で、ポイントが切り替わるまで待機していた。
その間は警報機が鳴りっ放しだったので、当然踏み切りに立ち入る事は出来なかったが、間近で機関車を見る事が出来た。
無線を手にした操車係りが機関車のデッキから降りて来て、電話で駅にポイント切り替えの連絡を取り、再び機関車のデッキに戻って入替信号機が進行表示に変わるまで待っていた。
モーターと歯車が動く独特のポイントマシン作動音がしてポイントが切り替わると、入替信号機が進行表示に変わり、短笛を吹いてゆっくりと動き出すのだが、1000ps級V形12気筒エンジンの唸り声はとても迫力があった。

          
再び側線に入線した機関車が貨車に連結され、ブレーキテストをしているエアー音が聞こえ、無事に機回し作業が終わると機関車のエンジンが止まり、機関士や操車係りの人達が駅舎に入ると、貨物列車は午後3時頃まで昼寝をしているワケだが、ここからがパラダイスだった。
今では考えられないだろうが、とても大らかな時代で、線路内に立ち入っても怒られる事は殆ど無かった。
だが、機関車や貨車に触る事は後ろめたさを感じ、駅から死角になる場所から進入し、機関車のデッキや車掌車のデッキによじ登って遊びまわった。
キハ20やキハ40の運転席は見慣れていたのだが、機関車の運転席を覗くと、ブレーキ弁などが気動車とは違う構造にワクワクした思い出があり、電車の運転士ではなく、機関車を運転する機関士に憧れを持つようになった。
今は分からないが、当時は「機関士」の名札を付けた方が烏山線の列車を運転する事があり、その名札を見ては尊敬の眼差しで見ていた覚えがある。
           
3時近くなると機関士が機関車に乗り込み、機関車の目を覚ますのであった。
そのエキゾーストノートを聞くと、再び家を飛び出して見送りに行くのが日課の様な物で、決まって踏切から駅方向に歩いた所にある出発信号機で見送った。
出発時間になると信号が青に変わり、ホームから離れている為に駅員の出発合図が確認出来ない為、機関車の停止位置にスピーカがー立っていて、そこから出発合図のブザーがけたたましく鳴り響き、DE10が長めの汽笛を吹いた後にゆっくりと力強く走り出した。

先に書いたが、麒麟麦酒専用貨物は5年と言う短命で廃止されてしまった。
最盛期は何十両もの貨物を牽いていて、時には屋根に雪を載せたホッパー車などを連れて来ていたが、今思うと仙台工場からの貨物だったのだろう。
晩年は、重連の機関車に車掌車だけの何とも寂しい編成で走っていた・・・
DE10 6号機 廃止間近は単機で運転(伏久踏切近辺 撮影年不明)

専用線はすぐにレールは撤去されてしまったと思うが、仁井田駅の側線は数年間維持されて、年に数回走る団体列車や臨時列車・工事列車が普通列車の退避に使う事があった。
臨時列車が走る時は、大金駅で上下列車が交換する烏山線のダイヤ上、下り最終列車が通過した後に走る事が多かったが、昔撮影したネガが発掘されたので、そのネガをデジタル化作業をしていると、真っ昼間にDE10が牽引する12系客車が停車している画像があった。
はたしてどんなダイヤになっていたのであろうか・・・


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